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PHPAへの送出しのための新しいDAP=Cayin N5 [オーディオ]

アナログ接続のPHPAへの送出しがCK4だけでは心許ない。
新しい血を入れたい。
LINE OUTでPHPAへ送りこめることができればよいので、大型のDAPである必要はない。
良質なLINE OUTが確保できて、ついでにPHPAの電源切れの際に直刺しで運用してもそこそこの音が出せれば、なおよい。

候補はFiioのX5(2nd)かCayinのN5。
聴き比べることもせず、DACにAKMのAK4490が積まれてることをもってN5にしてみた。
DACにどのチップを使ってるかで音が決まるわけではない。
だが、数か月前にL&PのL5がイイなぁと思っていたが、国内リリースの見込みがまったく聞かれないこともあって、同じDAPチップを使ったN5に惹かれてしまった。

金曜にヨドに発注し、土曜に納品。
試聴なしで購入したので、開封後の音出しはドキドキもんだ。
そして、一瞬絶望した。
音がこもってるし、低域の付帯音みたいな変な圧が音を支配して、音場とゆーか楽音の配置関係が聴き取りにくい。
でも、絶望よりも、まずはエージング。
USBで充電しながら、鳴らしっぱなしにして半日ほど放置。

十数時間のエージングを経て、Lyraにつないで聴いてみる。
低音の変な圧による迫力はかなり軽減し、音場の見通しが効くよーになった。
でも、クセはある。
押出しの強い、陽気な音だ。
これはこれで愉しい。
だが、PHPAへの送出しにはクセがないほうがよい。
この陽気なクセがDAC部によるものかamp部によるものかは分からんから、不安半分・期待半分でLINE OUTを試す(PHPAにはP5を使用)。

有難いことにLINE OUTにはクセは感じられない。
フツーにフラットな音調のやうだ。
音場の見通しはヘッドフォン出力で聴くよりもスッキリとしている。
これならPHPAへの送出しに十分。
とゆーか、CK4を送出しにするよりもよさそーだ。
ただ、CK4よりも数mm厚いのが珠に瑕。
CK4+P5はギリギリでシャツの胸ポケットに入ったが、N5+P5は無理。
それでもN5+P5は使いたくなる要素が音のほかにもう1つ。
上端と下端をラバーバンドで結束し、赤ベルデンのmini-miniケーブルで接続した姿が非常に好ましい。
ゴツゴツした無骨さがワタシの好みに合う。

さて、N5にはmicroSDスロットが2つある。
せっかくの機能だ。
もう1枚128GBのmicroSDを買ってくることにしよう。

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土曜から謎の肩こり。
特に重たい荷物を方からかけて行軍したよーな記憶もなく原因不明。
既に患ったことのある五十肩みたいな痛みじゃないから我慢はできるが、酷いと気持ち悪くなる。
そのせいで書いておきたいネタが溜まってしまった…

金曜は1時間早退けをして神保町シネマにて大島渚の「日本の夜と霧」(1960年、松竹)を鑑賞。
今回の件名は作中の台詞の一部。

この作品は何度かハイビジョンで放送されてるので、その録画を自宅のプラズマディスプレイで何度も観ている。
ハナシも画像の細々としたとこも承知しているつもりになってたのだが、ふと思い立って、映画館のスクリーンで観ておきたいなと思った。
スクリーンで観るのは何年ぶりだらう。
たぶん四半世紀前のことかもしれん。

で、実際に久々のスクリーンでの鑑賞は実に刺激的。
大島と松竹の本作をめぐる確執とゆーか、醜聞についてはwikiででも読めば分かるとおりだが、それに起因しての台詞のトチリも撮り直しせず長回しを多用しているところが舞台演劇的だなぁと思っていた。
その印象は一面で正しいけど、それだけではキャメラの視線の移動の映画らしさを無視した印象だ。
スクリーンで観てそのことを思い知った。
眞鍋理一郎の音楽による観客の不安の煽り立て方も自宅のテレビじゃ分からんかったし。

1時間47分の作品ながら観る者を非常に興奮させる一作。
機会あらば、またスクリーンで。

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