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バーンスタイン、バーンスタイン、バーンスタイン [音楽]

仕事のほうが少し落ち着いていたので、午前中は会社に出ずに、丸善(お茶の水)で仕事の勉強用の本探し。
頃合の本が見つかったのはよかったのだが、さて、ちゃんと読んで理解する時間はとれるかな?
ミステリーとか架空戦記を読む量を減らせばいいと分かっちゃいるが、なかなかそーはいかんのでねぇ。

今日は最近入手したバーンスタインの3枚のライヴ盤を聴こうと昨日のうちから決めていた。
寝る前にいくつかのヘッドフォンを試したところ、SRH-840がよさそうだった。
だが、雨になりそーな天気だったので、イヤホンに変更。
オケものをスケール感溢れる音で聴きたいならアレだろーとゆーことで、今日のお供はHM-801+IE8。

さて、バーンスタインのライヴ盤をどーゆー順番で聴こうかなと考えてみたが、まぁ、無難に時系列順に。
1枚目は76年アムネスティのための特別演奏会で、バイエルン放送SOとのベートーヴェン。
アルバムには、おそらくコンサートでの演奏順に収録されてるのだろうが、最初は、レオノーレ序曲3番。
これは元気いっぱいの演奏で、こんなレオノーレ3番は初めて聴いた。
バイエルンがまるで米帝のメジャーなオケのよーだ。
続いて、アラウのピアノで協奏曲4番なんだけど、これがレオノーレでの熱演から一転して、オケは極めて抑制的な演奏に。
アラウのピアノに合わせたということか?
やっぱりP協はピアニストのものなんだね。
このコンサートのトリは運命。
ここでオケは精気を取り戻すかと思いきや、決して抑制的な音ではないのだが、奔放さの弱い真面目な演奏で、強張った音がする。
正直このアルバムならレオノーレだけでいいやとゆー気分。

2枚目は、昨日、中古で入手した米帝管弦楽曲集で、82年のLAPOとのライヴ。
コープランド「アパラチアの春」は、この曲のお手本といえるよーな模範的演奏。
2曲目のウィリアム・シューマン「アメリカ祝典序曲」と指揮者自身の作品「キャンディード」序曲は、このアルバム(演奏会)の「動」であり「明」であるパーツだ。
こんなお祭り騒ぎの曲を書けるのはアメ公だけだね(あ、躁状態での露助もアリかな)。
とにかく何も考えずに脳ミソ空っぽにして聴くべし。
大騒ぎな2曲に挟まれて収録されているのがバーバー「弦楽のためのアダージョ」。
明らかに「静」を受け持っている曲だが、バースタイン・LAPOは決して「暗」にすることはない。
岩に滲み入るがごとき音のたなびきも、どこかあっけらかんとした表情を併せ持っている。
日頃うるさい曲(の部分)を選んで聴くよーなワタシでも早送りせずに愉しめた。

3枚目は、ロイ・ハリス交響曲3番とウィリアム・シューマン交響曲3番のカップリングで、NYPOとの85年ライヴ。
事前に友人からハリスのほうは退屈かもというハナシを聴いていたし、曲の冒頭は管楽器・打楽器の存在を忘れたがごとき弦楽のための楽曲みたいだったんで、最後まで愉しめるか不安だった。
ところが、曲の半ばから管も打も活躍しはじめて、これならOK。
ウィリアム・シューマンは、前述のアメリカ祝典序曲とゆーバカ曲(褒め言葉?)を書いたのと同じ人間とは思えないほどの思慮深い印象(ちょっとマーラーもどきかな?)。
オーディオ的な聴き方をした場合も、楽音を混濁させることなく重ねていくことで、透明な音場感とオケのスケール感を両立させた好録音になっている。

W・シューマンの他の交響曲もNaxosレーベルでなら何枚かは入手できそうだが、どれもジェラード・シュワルツ指揮のシアトルSO。
この指揮者・オケは聴いたことがないんで、気に入るかどうかは分からんが。

今日の読書
併読中の架空戦記も「鷲は飛び立った」も読了。
「鷲は舞い降りた」ほどの「手に汗握る」感は薄かったが、何かとオリジナルに比較されることの多い続編としてはよくできてるんじゃないかと思う。
ただ、総じて描かれた状況は地味で映像化にはなじまなさそう。
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