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ショスタコヴィチってのは、社会主義リアリズムの音楽における最高の成果なんだ [映画・テレビ]

土曜から謎の肩こり。
特に重たい荷物を方からかけて行軍したよーな記憶もなく原因不明。
既に患ったことのある五十肩みたいな痛みじゃないから我慢はできるが、酷いと気持ち悪くなる。
そのせいで書いておきたいネタが溜まってしまった…

金曜は1時間早退けをして神保町シネマにて大島渚の「日本の夜と霧」(1960年、松竹)を鑑賞。
今回の件名は作中の台詞の一部。

この作品は何度かハイビジョンで放送されてるので、その録画を自宅のプラズマディスプレイで何度も観ている。
ハナシも画像の細々としたとこも承知しているつもりになってたのだが、ふと思い立って、映画館のスクリーンで観ておきたいなと思った。
スクリーンで観るのは何年ぶりだらう。
たぶん四半世紀前のことかもしれん。

で、実際に久々のスクリーンでの鑑賞は実に刺激的。
大島と松竹の本作をめぐる確執とゆーか、醜聞についてはwikiででも読めば分かるとおりだが、それに起因しての台詞のトチリも撮り直しせず長回しを多用しているところが舞台演劇的だなぁと思っていた。
その印象は一面で正しいけど、それだけではキャメラの視線の移動の映画らしさを無視した印象だ。
スクリーンで観てそのことを思い知った。
眞鍋理一郎の音楽による観客の不安の煽り立て方も自宅のテレビじゃ分からんかったし。

1時間47分の作品ながら観る者を非常に興奮させる一作。
機会あらば、またスクリーンで。
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