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昨日は失敗したが、今日は成功 [音楽]

昨日は猛烈に眠くなって、22時から8時までの10時間睡眠(平常時の倍)。
8時に起きないと会社に間に合わないんで起きたが、もう少し寝ようと思えばまだまだ眠れるくらい眠かった。
何だったんだろ、アレは。

とゆーことで、まずは昨日の記録から。
荷物が多かったんで、ミニマムな組合せにしておこうと思い選んだのは、C3+UE900(ADLリケーブル)。
これは正直ダメだわって組合せ。
ヴォーカル(スザンヌ・ヴェガ「Close-up Vol.3」)とジャズ・トリオ(キース・ジャレット「Tokyo'96」)は音像クッキリでなかなかよかったのだけれども、オーケストラがまったく好みに合わず。
ムラヴィンスキーのチャイコフスキー交響曲5番(DGG)とショルティのベートーヴェン交響曲3番(DECCA)を聴いたが、音場が全然広がらない。
ハイ上がりではないのに、中域~高域の音がほぐれずに鼓膜へ直撃するよーな感じで聴き疲れがする。
これならiPod直刺しのほうがはるかにマシだった。

その反動で、今日は軽やかさを味わえるハードと曲を選ぶことにした。
お供に選んだハードは、C4+MOMENTUM(オヤイデ改造品リケーブル)。
鳴らしやすさとゆー意味ではMOMENTUMの純正ケーブルのほうがよいのかもしれないが、もうチョイ音のピントを合わせたいのでオヤイデのHPCシリーズ(HD598用ケーブルのヘッドフォン側樹脂部を少し削ったもの)にリケーブルした。
聴いてみると、このくらいの音の張りがあったほうが好みに合う。
体調が萎えてる時なら純正ケーブルの無刺激な音を選んだかもしれんけど。

聴いた曲は、ジャニーヌ・ヤンセンのヴィヴァルディ「四季」、ダグ・アシャッツのガーシュイン・ピアノ曲集、akiko「Word」の3枚。
「四季」の「冬」はもう少し力強い音でなってほしかったけれど、朝イチで聴くには相応しい軽やかさ。
ガーシュインのピアノ曲集は、演奏もくだけすぎず、真面目すぎず中庸を行くもの。
それに加えて、昔のBISらしいシンプルな録音が素晴らしい。
直接音と間接音のバランスがよい。
ガーシュインのアルバムの中から1枚選べと言われたら、迷わずコレを選ぶ。
今日の3枚の中でオーディオ的な発見があったのは最後のakiko。
精神安定剤のごとく染みわたる音と認識していた。
今日のハードで聴くと、その静寂さのなかでakikoがところどころで声をほんの少し張りを強めているところが聴き取れた。
聴き手のコンディションの問題もあるんだろーけど、ハードのおかげってとこもあったと思う。

昨日・今日の読書
「国境の雪」読了。
北朝鮮・脱北者の脱出記と思わせて、その実、核心的なところが中共の内紛(北京vs上海)であったり、米帝CIAの暗躍であったりと、出てくる国々のエゴがこれでもかと主人公たちを翻弄する。
相当程度、事実を踏まえているのだが、どこまでがホントのことで、どこから創作なのか、だんだんと境界が曖昧になる。
著者の狙いに見事にはめられたまま読了に至った。
ただ、連載小説にありがちな冗長かなと思わなくもないけど。

続いて、高嶋哲夫「フライ・トラップ JWAT・小松原雪野巡査部長の捜査日記」(文春文庫)読了。
少年係の女性警官が主人公なんで、短いエピソード数篇から鳴る連作短編集かと思ったらちゃんとした骨太な長編だった。
主人公の横紙破りなところと真摯な姿勢のアンバランスさが微笑ましく読めた。
高嶋は武張ったモノしか書かんと思ってたが、守備範囲の広さを認識させられた。

ヤンソンスのベト全とブラヴォーのタイミング [音楽]

この土日は、BSプレミアムで録るだけ録って未見のまま放置していたヤンソンス・バイエルン放送so.のベートーヴェン交響曲全曲を1番から順に視聴。
演奏・録音ともに悪くない出来(絶賛とゆーほどでもないけど)。
ただ、観客のほうは、ワタシとしてはチョイ気になる。
どんなに熱演であっても演奏が終わり、残響が消え入るだけけの間(ひと呼吸)をおいてから「ブラヴォー」を叫んでほしい。
さすがに米帝みたいに(←ギレリス・メータ・NYPOのチャイコフスキーP協奏曲)曲が終わらぬうちに叫びだすバカはいなかったが、上記のひと呼吸の間を取らずに絶叫するのがチラホラ。
咳払いのよーな意味を持たないノイズは気にしないよーにすれば我慢できなくもないが、ブラヴォーとかブーイングとか意味内容のある音はどうにもいけない。

今日は買い出し以外に出かけなかったが、土曜はいつものごとく昼飯・長めの珈琲休憩に出た。
そんときのお供は、iPod Touch3G(FLAC Player)+PHA-1+MOMENTUM(オヤイデリケーブル)。
ショルティのワーグナー指環ハイライツ、長谷川陽子のシューマン・ドヴォルザークVc協奏曲、中本マリ「Voie」を聴いた。
オヤイデリケーブル(HD598用ケーブルの改造品)とPHPAともにクリアな方向に音をまとめる。
MOMENTUMは小ぶりな密閉型だが、上記のクリアさのおかげで音場の窮屈さ・篭り感は感じられずに気持ちよい。
面白みには欠くけれども安定の出音。

土曜の夜中にDX100のファームをv1.3.7に更新。
これでv.1.3.5の不具合(アルバムを1つ聴き終えると数分後に音楽祭せえいソフトが落ちてしまうこと)は解消されるかなと期待しての作業だったが、なぜかバージョンアップ後は音楽再生ソフトが立ち上がらない…
何度入れ直しても同じ結果で少々腐る。
一晩寝てアタマを冷やして、今朝になってからトライ。
v1.3.5が悪さをしているよーな予感があったんで、いったんv1.2.7に戻して、それからv1.3.7を入れてみた(v1.2.7→v.1.3.7の更新になる)。
今度は成功。
やっぱり睡眠をちゃんと取ってからのほうが脳味噌の働き具合がよいようだ。

昨日・今日の読書
「おもかげ橋」読了。
女性の邪気のない思わせぶりとゆーのも困ったものだが、そのあたりの描写が全面に出てくるのは今どきの時代小説とゆーことか。
この扱いにくい登場人物のせいなのか、同じ著者の「蛍草」ほどの感興なし。

続いて、柴田哲孝「国境の雪」(角川書店)に着手し、1/4まで。

キースのオルガン、ストコの革命 [音楽]

木曜の晩は会社の先輩、後輩と河豚を喰らいに。
養殖の格安なコースなんで、それなりって言っちゃえばそれまでなんだが、それでもゼラチン質のi豊富な皮(湯引き、てっちりの具)は美味い。

さて、木曜のお供は久々のEdition8。
中高域の薄い刃物のようなきつさが難点だが、密度の詰まった低音は魅力的。
で、難点をどーやってカヴァーするのかとゆーことも、以前試した組合せの中で見つけてある。
DX100(ラインアウト)+The Portaphile627+Edition8(mini-miniはオヤイデHPCの9cm)とゆー組合せだ。
これだと全体域が概ね同じ厚みのバランスのよい状態になってくれる(Edition8の刺激的な中高音が好きだってヒトには向かないけれど…)

聴いた曲は、最近購入した2つのアルバム。
キース・ジャレットがオルガンを弾いた「HYMNS SPHERES」(2枚組)は、パイプオルガンで即興ジャズを演奏したもの。
聴くまではどんなにエキセントリックな代物なんだろと思ってたのに、実際に聴いてみるとまるでクラシックのオルガン曲のおよーな荘重さを湛えた演奏なんで驚いた。
オーディオ・バカのワタシはパイプオルガンとゆーとフツーの楽器ではなかなか聴けない超低音をつい想起してしまうけれど、このアルバムでは玉を転がすよーな高い音域が特徴的だ。

もう1枚は、ストコフスキーのショスタコーヴィッチ交響曲5番。
ディジタル録音になってからの「革命」には優秀録音が多いが、この演奏は1958年なのでどんなもんだかやや不安だ。
でも、新しモノ好きのストコだし、エヴェレスト盤だからってゆー期待もある。
果たして聴いてみると、至ってフツーに聴ける録音水準だった。
でも、演奏は意外なもので、ストコ節満開ってゆーよりも丁寧な演奏だった。
ダメダメな駄録音でもないが、超絶的な名録音ってわけでもない。
ストコらしさはないが、駄演ってわけでもない。
う~ん、中途半端な印象だ。

木曜の読書
「カウントダウン メルトダウン」下巻読了。
なかなか冷静中立な視点で原発事故の顛末が描かれていることに感心。
株を上げた自衛隊についても、悲劇的なまでにダメっぷりを全世界に晒した民主党・菅政権についても、それぞれ評価・批判の両面を記している。
広く推奨したくなる良書。

興味深かったのは、事故がどこまで拡散するか分からない段階では、駐日米国大使館・国務省サイドは積極支援、米海軍サイドは及び腰って差があったことだ。
フツーに考えると軍のほうが積極姿勢ではないのかと思ったんだが、放射能漏れがあったときに逃げ場のない原潜を運用している海軍にとっては軽度の漏れも許せないものだとゆーくだりを読んで納得。

テンシュテットのマラ6に陶然 [音楽]

今日の昼食・珈琲のお供は、iPod Touch3G(FLAC Player)+PHA-1+ER-4S。
ER-4SでDレンジ確保重視=平均録音レベル小のクラシックを聴くときに音量が取れるかどうかが重要。
PHA-1では大抵の曲に対してゲインLOWでも大丈夫だし、極端に録音レベル小の場合でもゲインを切り替えれば問題なし。
音量のほかに気になってたことは、PHA-1は色付けなく直球の音だし(特徴がないという面も)、ER-4Sもクセのない音なんで、両者の組み合わせでは面白みがないかもってことだ。

選んだ曲は、テンシュテットのマーラー交響曲6番(EMIのライヴ盤)。
かなり凶暴なほどに迫り来る演奏だ。
おまけに録音の方も再生が難しい。
低音が独特で、電源がシッカリしているアンプを持ってこないと腰抜けな音になって、演奏の凶暴さをちゃんと再現できない。
さて、今日の組合せではどうか?
コレが実に上手くハマった。
実のところ、マラ6は1楽章だけ聴いて、色んなジャンルの曲を聴こうと思ってたんだが、あまりにもソフトとハードの相性のよさを感じて、最終楽章まで聴き続けた。
久々の陶然とさせられる90分だった。

今日の映画
日本映画専門チャンネルで「エスパイ」。
この映画を初めて視たのは中学生のときに文芸座地下だったが、その時の思いとしては「小松左京のエスパイ」でもなければ、「藤岡弘のエスパイ」でもなく、「由美かおる(当時24歳)のエスパイ」だった。
「祭りの準備」の竹下景子(当時22歳)と同じ楽しみ方といえば、分かる人には分かるかも(照)。

今日の読書
架空戦記1本読了。

ER-4Sで聴くキース・ジャレット [音楽]

昨日に引き続きのT-51+The Portaphile627+ER-4Sを使って今日はキース・ジャレットを聴いた。

まずは、ヨーロピアン・クァルテットの「Sleeper」。
聴き始めは「やけに乾いた音だなぁ」って印象だったのが10分程度でシットリとゆーわけではないが、ややドライかなって程度に。
耳が慣れたせいかもしれないと思い、1曲目冒頭に戻って聴き直してみたが、やっぱり最初に聴いた音とは違う。
たぶんThe Portaphile627の暖機が済んで本領を発揮しだしたってことだらう。
この組合せでは、クセの少ないER-4Sに対してThe Portaphile627のキャラが支配的とゆーことの現れだと言い換えることもできるのかな。

この「Sleeper」はCD2枚組のライヴ盤なのだが、ワタシの耳には1枚目と2枚目でビミョーに音が違って聴こえたところが面白かった。
2枚目のほうが高音が立っているよーに聴き取れた。
それが演奏、録音、聴き手のコンディションのいずれによるものなのかは定かではない。
でも、そーゆー違いが聴き取れた(よーな気にさせた)ところが今日の組合せのオーディオ機器としての優れたところなんだと思う。

最後はピアノソロの名盤「ケルン・コンサート」。
いつもは聴き手に緊張感を要求する求道的な演奏のよーに感じていた。
だが、今日は驚くほどくつろいで聴くことができた。
これはオーディオ性能の高さ(歪み感の小ささ)を表しているのか、それとも同性能の低さ(微細な情報を丸めてしまうこと)の現れなのか?
でも、聴いてて愉しかったから、結果オーライ。

今日の読書
水道橋博士「藝人春秋」(文藝春秋)に着手し、6割方まで。

ER-4Sで聴くロシア音楽 [音楽]

今週はER-4S集中運用中。
1つ前の記事で書いたとおりクラシックで録音レベルが小さい場合には音量をちゃんと取れる上流の環境でないと、地味な音になってしまう。
そーゆー点ではハイクラスDAP直刺しよりもPHPAを使うほうが安心。
で、今日のお供は、T-51+The Portaphile627+ER-4S。

ヴィニール盤時代には腐るほど聴き倒した曲・演奏からスタート。
ストコフスキーのチャイコフスキー交響曲5番。
これは奇才ストコの中では比較的オーソドックスに振っている。
録音も実験的なピンポン録音みたいなことはやらかしておらず、ステレオプレゼンンスが自然。
ER-4Sみたいなカラリゼーションの少ないイヤホンで自然な印象なんで、ホントに自然な音場感の録音なんだろと思う。

続いて、同じくストコのムソルグスキー「展覧会の絵」(編曲もストコ)。
これはヴィニール盤時代は前記のチャイコ5番とは別の独立した1枚だが、現行のCDでは両者カップリングの1枚だ。
ポピュラーなラヴェル編曲のものに比べて、ドロドロっとしたおどろおどろしさが3割増し。
演奏もおどろおどろしさ2割増しで、計5割増し(あくまでも印象の問題)。
で、音の方だが、これについては前記チャイコに比べると、少々難ありだ。
同じレーベル(DECCA)、同じオケ(ニューフィル)、ほぼ同じ時期(60年代半ば)であるのにかかわらず、展覧会の絵ではフォルテシモでは音の肌理が粗く聴こえる。

口直しには優秀録音盤を聴こう。
ハイティンクのチャイコフスキー交響曲4番を選ぶ。
ショルティの同曲(DECCAのディジタル録音)のよーに金管が目一杯吼えまくるよーなおとではなく、PHILIPS録音らしいシットリとした風合いでいながら、音場がことのほか広く感ぜられ、オケ曲の醍醐味が味わえる。
ER-4Sで聴くと、音場の左右間隔が極端に広がるよーな聴こえ方にはならないところがよい(イヤホン・ヘッドフォンによっては、この録音は不自然なほど左右に広がって聞こえてしまう場合がある)。

今日の読書
「無花果とムーン」読了。
中2病丸出しの作風は相変わらずで、ハナシの展開も想像がついちゃうものであったが、最後まで飽きさせず読ませるのは桜庭の腕のよさ。
でも、もーいい加減別の味付けも見せてもらわないと飽きがくるかもしれん。

続いて、架空戦記1本読了。

ESW10の繊細さが活きる曲・足を引っ張る曲 [音楽]

今日のお供は、DX100+ESW10。
昨日のESW9はC4と組ませたが、ESW10とC4では線が細すぎるって結果が目に見えてる。
ESW10に少々の肉付けをするにはDX100かなと。

最初に聴いたのは、昨日との比較の意味で、平賀マリカ「Batucada ~Jazz’n Bossa~」から数曲。
ESW9に比べて、音の濁りはないものの、ヴォーカルが薄い。
決してヴォーカルが遠いってことはないんだけど、肉声のボディで響くよーな要素が希薄。
キース・ジャレット「My Song」では、音の線が細いってゆー意味では平賀と同じなんだが、演奏がジェントルなんで、悪くない相性だ。

クラシックに切り替えて、ショルティのベートーヴェン交響曲3番。
この演奏はショルティの割りには即物的過ぎず、情緒の要素と正確性の要素のバランスがよい。
今日の組み合わせでは、出音の線の細さが終始気になる。
特にワタシの大好きな葬送行進曲(2楽章)がひどく味気ない。
クラシックからもう1曲選んだのは、プレヴィンのメンデルスゾーン「真夏の夜の夢」。
これは概ねよかった。
ソプラノのパートも、ESW10での薄い声が美しく感じられたのでプラスに働いている。
全体にハード(ヘッドフォン)の繊細さがソフト(曲)にうまくマッチしていると感じられたのだが、不思議なことに結婚行進曲は妙に勇壮な音が出てきた。
DX100の充実した中低音が顔を出したってことなのかなと思う

昨日・今日でESW9、ESW10と進めてきたので、明日はどのヘッドフォンにするのか?

今日の読書
恩田陸「夜の底は柔らかな幻」(文藝春秋)に着手し、上巻読了。

アリス=紗良・オットへのミーハーな視線 [音楽]

日曜の朝イチは、BSプレミアムの録画でNHK音楽祭(マゼール・N響)からスタート。
お目当ては、グリーグのP協奏曲を弾いたアリス=紗良・オット。
ジャケット写真等での印象とちょっと違ってて面白い。
ステージに出てきた時には人をおちょっくたよーな表情をしてるし(マゼール爺ちゃん、よく困惑しなかったもんだ)、演奏中は恍惚としているし。
あ、裸足でピアノを弾いてたことも忘れちゃいけない。
独墺系の血が発動するとビア樽化が心配されるが、まだまだ十二分に大丈夫なルックスを保ってた。
好ルックスな上に、意外性のある表情だったんで、視ている分には十分愉しめる。
ピアノの音は相変わらずで、か細いなぁって思わざるをえないけど。
このヒトのアルバムはジャケ買いとゆーか、ご祝儀代わりで、リリースのたびに購入しているけど、音楽の出来として感心できたのはショパンのワルツ集だけだ。
他のアルバムでは、どーにも彼女の弾くピアノの音に力感不足の感が拭えない。
特にベートーヴェンのソナタ集は録音も最低の出来だったと思う。
今日の放送でもその力感不足傾向は変わっていないよーに聴き取れた。
う~ん、ビア樽化(←そこかい!)と音の力感はバーターなんだろか?

昼食→買出し→珈琲に出かけよーとしたら、ほとんどのDAP、PHPAで充電が怪しい状況だった。
一番マシな状態だったのがiPod Touchだったんだけど、これもsoloやPHA-1と組ませたら、アッという間に充電切れになることは目に見えてる。
仕方ないんで、直刺しで運用するしかない。
直刺しでもチャンと鳴りそうなのを選ぶことにしてUE900(ADLリケーブル)。
ブレーズのストラヴィンスキー集(エボニーコンチェルト他)、THE PLAYERS LIVE、クナッパーツブッシュ・VPOのワーグナー集を聴いた。
コンプライと同等のウレタンフォームのイヤチップを使い、遮音性は十分確保されてたんで、いつもよりもホンの少々音量控えめにしていたんだが、その状態ではiPod Touch3G(FLAC Player)の直刺しでもなかなかイイ音がする。
う~ん、これがポタ環境での本来の鳴らし方なのかな?
まぁ、そーは言っても、細かいところの表現ぶりを左右する情報量とか、イヤホンをつけてることを一瞬忘れさせるよーな音場感とかを求めて、ハイクラスDAPとかPHPAを使うのをやめちゃうわけではないけど。

日曜の読書
香納諒一「幸 SACHI」(角川春樹事務所)に着手し、1/3まで。
別ジャンルの本も併読することにし、保阪正康「仮説の昭和史」(毎日新聞社)に着手し、上巻の1/4まで。

C4+MOMENTUMでクセのある録音も聴いてみた [音楽]

今日のお供は、C4+MOMENTUM。

卸したてのときは、この組合せで低音・力感がチョイ弱いかなと思ったのが、十数時間のエージングで低音がほんのり強まり、ちょうどよくなったことは既に書いた。
とゆーことで、安心の組合せと承知していたのだが、意地悪くクセのある録音のソースを交えてみた。
皮切りは、三木敏悟/インナー・ギャラクシー・オーケストラ「海の誘い」。
ビッグバンドジャズって括り方では納まらない70年代の邦人ジャズの名作だが、これは今日の組合せでは、当時のアナログ録音らしいピーキーさと滑らかさのどちらの要素も気持ちよく聴ける。
2枚目は、今日の組合せのアナログっぽい再生音に気をよくして、新譜ながらもウォームなトーンでまとめらてることに感心したスザンヌ・ヴェガ「Close-Up Vol.4」を聴いた。
ここまでは気持ちよく聴けた。

クラシックでは意地悪なソースを選ぶ。
クライバー・VPOのベートーヴェン交響曲5番はリリース時に衝撃的だった。
クライバーにしか振れない「運命」って意味では名演なんだけど、録音って意味では相当風変わりなバランスで録られている。
その低音の支えって要素をどこかに置き忘れてきたかのよーな録り方が1楽章アタマの衝撃にもなっているんだけど、やはり異様だ。
MOMENTUMの暖かな音調でもカバーできなかった。
続いて、ジュリアード弦楽四重奏団のシューベルト「死と乙女」(1959年録音)。
これも滅茶苦茶にクセのある録音だ。
もちろんステレオ録音なのだが、各楽音は響き合わないし、聴感上はひどくナロウレンジに聴こえる。
1人ひとりの録音を独立して録音したSPを4台の蓄音機で同時に再生してるかのよーな錯覚さえ覚える(実際にはSPよりも遥かにワイドレンジだけど)。
音の揺らぎが演奏によるものなのか、録音の滲みなのかも不明だ。
そうしたクセはMOMENTUMで聴いても変わらないのだが、聴いていて不快感はない。
録音のクセを塗りつぶしてしまうよーな強引なところはないが、録音の咎を強調したりしない品のよさ・懐の深さがMOMENTUMのいいところなのかな。
こーゆーところはハイエンド機よりも使いやすいと思う。

最後は、ここのところ、ほぼ毎日のよーに聴いているキース・ジャレットのヨーロピアン・クァルテットのアルバムの中から「Belonging」を選択。
熱くなり過ぎないジェントルな演奏にC4+MOMENTUMは大変よく合う。
サックスが伸びやかに力みのない、程よい主張をしてるあたりの再現が上手い。

今日の読書
湊かなえ「母性」(新潮社)読了。
これまで湊の作品はワンパターンが続いてたかなと思ってたけど、本作では一皮剥けた印象。
いつものとおり複数の登場人物の1人称視点で描かれ、固有名詞抜きで「母」とか「娘」とかの普通名詞で語られているのだが、それがちゃんと作品の内容に活かされている。
たこ焼き屋の女将と若い店員の正体について殊更に説明せずにハナシに膨らみを持たせているところも好感。
これは秀作だ。

美貌と狂気 [音楽]

1つ前の記事で、アリス=紗良・オットには狂気が不足していると書いた。
同じ1988年生まれの女性ピアニストのリーズ・ドゥ・ラ・サールは狂気の持ち主とゆー意味では好対照だ。
今朝のBSプレミアムのクラシック倶楽部(朝6:00~)で昨年の来日公演が放送されてたのを視たのだが、十二分に「いっちゃってる」ヒトだった。
「トリスタンの愛の死」を弾き終えた表情は常軌を逸して恍惚感に溢れていた。
胸元の大きく開いたドレスで恍惚とした表情を浮かべながらの演奏中の姿は朝っぱらから視るには刺激的すぎたかなぁ。
ステージ用の厚化粧のアップをHD画質で視ると、ちょっと引いちゃうけれど、Google画像検索で素顔を見るとフツーの20代前半のキレイな姉ちゃんだったので一安心(?)

さて、今日のお供は、DX100+ESW10。
ESW10の薄い中低音はDX100のムッチリとした音調で上手に中和されるので、これはイイ組合せだと思っている。
で、最初に聴いたのは、「胸元の大きく開いた」つながりで、女性ヴァイオリニストのジャニーヌ・ヤンセンのベートーヴェンとブリテンのVn協奏曲を聴いた。
Vnの幽玄さを演奏に乗せるのは上手だが、音の線は細い。
そのため、ベートーヴェンではオケ(ヤルヴィ・LSO)に負けてしまっている。
ブリテンのほうが彼女のVnのよさが活きる。

その後は、DECCAでの村治佳織のベスト盤「Re-Cycle」(2枚組)。
オリジナルアルバム発表順ではなく、1枚目をポピュラー編、2枚目をクラシック編と銘打って編集しているため、オリジナルアルバムで聴いたときと異なる印象を与えてくれる。
ちょっと気になったのは、曲順だけではなく、音もオリジナルアルバムと変えてるよーに感じた。
1対1での比較をしているわけではないのだが、ベスト盤のほうが甘口になっているのでは?
そのほうが各オリジナルアルバムの音の違いを強調せずに済むとゆーことで弄ってるのではないかと勝手に推測。

今日の読書
東野圭吾「禁断の魔術 ガリレオ8」(文藝春秋)読了。
4編から成る書き下ろし短編集(4つ目の作品は中篇といってもよいボリューム)。
この4本目が問題作だ。
ホームズの「最後の挨拶」のよーでもあり、隅の老人の「最後の事件」のよーでもある。
さて、ガリレオ9は出るのか否か?
本作の中身よりも、続編の有無のほうがよっぽどミステリだ。

コミックス「おおきく振りかぶって(20)」も読了

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