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宇野常寛の新刊を読んで(3本立てのその3) [世事]

3本立ての最後は読書とテレビについて。

ここんとこ読んでたのが宇野常寛ほか「静かなる革命へのブループリント この国の未来をつくる7つの対話」(河出書房新社)。
宇野と7人の対談集。
対談、鼎談、シンポジウムの議事録、こーいった類は、話し言葉と書き言葉の違いのため、大変読みにくいものが多い。
しかし、本書はスルスル読める。
編集者としての腕がすこぶるよい。
どんなに良書でも読まれなければ意味がない。
その意味で編集の腕がよいことはとても大事。

7つの対談のそれぞれについては色々思うところもある。
率直に賞賛、肯定できるものもあれば、自信過剰のあまりコケなければよいのだがと心配したくなるものもある。
だが、共通して思うところが1つある。

よく官民役割分担というがごとく、官と民の2分でものを語ることがある。
もう少し丁寧なものいいをするヒトは、この二者の間でグラデーションをつけて、「官・公・きょう・民」という場合がある。
官=中央政府・地方政府
公=公社・公団等
きょう=NPOや公益法人のような中間団体、又は政府・産業界・労働界の協議体など
民=営利企業
というよーなイメージ。
「きょう」の存在が最も現代的で、オランダなど欧州では比較的古くから認識されていた領域だけれど、日本では1990年代以降よーやく認識されたと思う。
この「きょう」には「共」の字を当てるヒトと「協」の字を当てるヒトがいるが、宇野「静かなるー」を読んで別の字を当てることが想起された。
「響」
響きあいがないと、法令による強制(官公のルール)も、利益による誘引(民のルール)もない「きょう」の原動力が起きにくい。
とゆーよーなことを強く強く感じた1冊。


昨日はテレ東の長時間音楽番組を流し見。
48Gを圧倒するモー娘。OGの存在感といってしまえば、通俗的な感想になるけれど。
メドレーの選曲もよかった。
せいぜいラブマから始めるのかと思ったら、まさかのモーコー。
さすがに愛の種はムリだったが…
う~ん、生歌のモーコー聴くのって何年ぶりのことだらう
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